『セッション』
「『ラ・ラ・ランド』面白かった。」
そう友人に言ったときのことだ。
そいつはなかなかクレイジーで演劇バカで、今は文学座研究所で真摯に芝居を学んでいるRというやつだ。
そいつが言った。
「『セッション』も観てくださいよ」
その時の僕は、「おう、気が向いたら観る」と言っただけだ。
もちろん頭の片隅にはあった。
だが、なかなか腰の重い僕は、観ることをしなかった。
今の今まで。
そして先日、今年は映画をたくさん見ようと思ってTSUTAYAに行ったときのことだ。
たまたま、『セッション』のBDが置いてあった。しかも旧作だ。
100円で借りれるなら、と思ってそのままカゴに入れた。
そして昨夜みた。
なんの事前情報もなしに。
ラ・ラ・ランドに合わせて勧めてきたんだから、きっとミュージカル仕立てのエンタメ作品なんだろうなと勝手に思い込んでいた。
タイトル名も音楽用語のセッションだし。
だから、娯楽映画を観るつもりでテレビの前に座ったんだ。
主な登場人物はたった二人だ。
マイルズ・テラー演じる、主人公のアンドリュー・ニーマン。
彼は超一流の偉大なドラマーを目指し、全米最高峰のシェイファー音楽学校に入学した1年生。
そして、J.K.シモンズが演じる師匠のテレンス・フレッチャー。
正直に言えば、なぜ予告編でもいいから観なかったんだろうか、と自分に言ってやりたい。
だが、観なかったからこそ、この衝撃を味わえたのかと思う。
前置きが長くなったけど、
この映画には感動したわけじゃない。
そう、衝撃を受けたのだ。
どこかの劇評でこの作品はこう評されていた。
「シンプルな狂気」
そう、まさしく狂気うごめく作品だったんだ。
しかも、スリラー系のようなものではなく、
余計なものをそぎ落とした、純粋な狂気。
そしてそれがラストの怒涛の展開で昇華されることに、この作品の価値があるのだと思うし、一番評価されているポイントなんじゃないかなと思う。
というわけで、次回はネタバレ込みで感想を書いていこうと思います。