趣味に生きる。

静岡で演劇を嗜んだり、アニメや映画を楽しむ魚介類のブログです。演劇の話から映画の話、趣味にいたるまで、いろいろなことをアーカイブしていきます。

『セッション』を観た感想

※ネタバレ注意


というわけで、少し日が経ってしまったけど、『セッション(原題:WHIPRASH)』の感想なんか書いていこうと思う。

本作品は、第87回アカデミー賞において、助演男優賞編集賞、録音賞を受賞している。


こういうことに慣れていないので、映画の感想には程遠い文章になるかもしれないけど、そのうち上手になるから許してほしい、な!


というわけで、書いていこう。


この映画の見所は、フレッチャー役のJ.K.シモンズの狂気に満ちた演技、そしてラストシーンのカタルシスのために計算されたシナリオ、演奏シーンが顕著だが、素晴らしきカメラワークと編集である。





シナリオは非常にシンプル。
主人公のニーマンは、プロのジャズドラマーを目指し、全米最高峰の音楽学校に通う青年。
音楽界で将来を期待されている青年のひとりだ。
トップレベルの音楽学校に入学できるのだから、それなりの技術を持っているといえる。

そして、物語は練習室でひとりドラムを叩くニーマンのシーンから始まる。

そこにやってくる教授のフレッチャー。
彼は学内のトップバンドを率いる、トップレベルの教員である。
ニーマンはドラムを叩き実力を示そうとするが、演奏の途中でフレッチャーは帰ってしまう。


ニーマンは、実はクラスのバンドでも主奏者になれない、いわゆる落ちこぼれに近い立ち位置だった。
しかしバンドの練習中にフレッチャーがやってきて、ニーマンをトップバンドにスカウトする。


と、あらすじを長々書くと、だらだらしたブログになるから、ここらにしておこう。


特筆しておきたいことは、とにかく、フレッチャーが暴言を吐き、恐怖でバンドを支配するパワハラ指導者であるということである。



ここまで観れば、フレッチャーに師事したニーマンの、青春のサクセスストーリーを期待するだろう。
正直、僕も途中までは思っていた。

しかし、
残念なことに、

フレッチャーは狂気の人であり、パワハラしかなかったのだ。

しかし、ここまでは芸術の世界ではよくあることであると思う。
今の時代は体罰パワハラに厳しくなったからなりを潜めているけど、演劇だって、灰皿を投げる演出家なんていたものだから。

たしかに、クオリティを極めるために、厳しく指導にあたることは時に必要だと思う。

しかし、作中のフレッチャーは常軌を逸していた。
病的なまでに厳しく、観ている身として、そこに愛は感じられなかった。
音楽への愛も、
教え子への愛も。


とあるコンクールの日、ニーマンはバスのトラブルで遅刻しそうになる。
レンタカーを借りて会場に着いたニーマンだが、レンタカー店にスティックを忘れてきてしまう。
しかしフレッチャーはニーマンに、自分のスティックでなければステージに出さないと言った。

厳しい見方をすれば、プロ意識が足りないのかもしれない(それでも学生だが)。
だけど、いくらでもやりようがあったにも関わらず、
ニーマンを簡単に切った。
ニーマンはなんとか食らいつこうと、スティックを取りに戻ったが、ホールへ向かう途中交通事故にあって満身創痍になりながらも、ステージに立つ。
しかしそれで演奏できるはずもなく、フレッチャーに終わりを宣言される。

フレッチャーに殺してやると摑みかかるニーマン。
彼はこれが原因で学校を退学する羽目になる。


まず、ここでびっくり。
ニーマンはついに挫折を経験するのだけど、フレッチャーは冷酷にニーマンを切った。

おいおい、気に入ってたんじゃないのか?
なぜそこまで冷酷になれるんだ。
頭に???がたくさん出る中、物語は進んでいくのだ。

その後、ニーマンは偶然フレッチャーに会う。

そこでニーマンに厳しい指導の理由を語るフレッチャー。

才能を押し上げるため、あえて行きすぎるくらい厳しい指導をしていた、と。
そこで挫折するようなら、本物の才能にはなれないと。
新たな天才を生み出すため、あえて厳しい試練を与えているのだと。

そこでフレッチャーはニーマンを新しいバンドに誘う。
ニーマンに期待していたことを伝え。


一瞬、ここでフレッチャーはいい人なのかもしれないと思った自分が情けない。
いや、展開的には普通にあり得る。
厳しい指導者の裏を知り、和解するシーン。
青春スポ根にはありがちな展開だ。

結果、ニーマンは退学後離れていたドラムと再び向き合うことになった。

しかし、これもフレッチャーの復讐の布石だった。
フレッチャーは、ニーマンの密告によって教員を罷免されていた。
そして、その密告者がニーマンだと知っていた。


知らない曲名をフレッチャーから知らされた瞬間、正常に進んでいたはずの物語が一転した。

話もクライマックスにさしかかっているのにも関わらずだ。
演奏に失敗したニーマンは、ステージから去る。
今度こそ完璧に心を折られたのか、そう思った瞬間、ニーマンはステージに戻り、いきなりドラムを叩き、強引に演奏を始める。

ここからこの物語のクライマックスの始まりだ。

これまでの陰鬱でストレスの溜まる展開をすべて蹴散らす、この作品の最大の見せ場が始まる。

そして、敵対していたはずのフレッチャーとニーマンは、演奏を通して心を通じあわせたところでエンドロールが始まる。

この演奏シーンのカメラワーク、編集が神がかり的に素晴らしい!
曲の盛り上がりに合わせて観ている側の気持ちも盛り上がるような計算がされている。

比べるのもおこがましいけど、アニメ『響けユーフォニアム』第2期の関西大会の演奏を思い出させるような、その場の臨場感が伝わってくる画面だったと言っておきましょう!

ラストシーンに、フレッチャーとニーマンによる会話はない。
しかし、お互いがお互いをみて、そしてお互いを認め、音楽を通じて心が一つになっていく。

その瞬間を見せて、この作品は幕を閉じるのだ。
話としては、何かが解決したとは思えない。

フレッチャーの病的な人間性がどこまで治っていくのか、ニーマンの今後はどうなるのか、そんな余計なことは一切描かない。

この作品の凄いところは、とにかく無駄を排しているところ。
登場人物も限られていて、情報量が少ないから話について行きやすい。
そして、演奏中は観客をほとんど映さない。
言ってしまえば、ニーマンとフレッチャーだけをピックアップした画面だ。

そう、この話は突き詰めてしまえば、ニーマンとフレッチャーの物語。
それを語るのに不要なものは、とことん排除しているのがこの作品の特徴だ。



この作品で使われる音楽のジャンルはジャズ。
ジャズは聴くのが好きな程度で詳しくもなんともない素人だけど、昔ジャズを嗜んでいた大学の先生から聞いたことで、

「ジャズは、全く同じ演奏しちゃいけないんだ」

と言われたことがある。
この同じ演奏をしちゃいけないっていうのは、なぞるような演奏をするなってこと。

演劇でも同じことが言えて、ただ前にやった演技をなぞろうとすると失敗する。
それがジャズにもいえるんだって思った記憶がある。


そんな、変な親近感を抱くジャズが使われている映画だけど、そういう意味ではあまりジャズらしさは感じない。

フレッチャーは本番前に「楽しもう」なんていうけれど、楽しむなんてことを彼は教えていない。


厳しい指導は時に必要だけど、本当にそれを行うためには、それ以上に愛がないとダメだ。
そう、スクールウォーズのような、そんな、泥臭い愛がないとだめなんだ。

そう、思う。


ただ、最後のカタルシスに向かうように設計された物語、そして映像、それは素晴らしい。

良い映画だったと思う。