趣味に生きる。

静岡で演劇を嗜んだり、アニメや映画を楽しむ魚介類のブログです。演劇の話から映画の話、趣味にいたるまで、いろいろなことをアーカイブしていきます。

Rubbishさんの舞台を観た(辛口批評)

久しぶりにブログを書くのだけれど、
自分の中に色々もやっとしたものがあって、
こんなことわざわざ書いてネットに曝け出すのは、
少し子供染みたことかもしれない、
と思いながらも、批判覚悟で書くのである。


先週末、たまたま誘われたからという、どうしようもなく受け身な理由で演劇集団Rubbishという劇団の、「絶対に押すなよ!」という舞台を観に、あそviva劇場に足を運んだ。
もちろん、静岡で活動する若い人たちの劇団は興味がある。誘われて、普通に興味を持った。
自分たちと同年代の人たちがどんな芝居をするのか。
それを観ることで、自分の、自分たちの(特にエイトビート)の立ち位置も知りたかったし。


観た感想だけも、Twitterはだいぶ端折ったので、ちょっと詳しく書いていこうと思う。

全体的なことに対しての、個人的な満足度は、70%くらい。
基本的に、良かった!
何よりも、自分の一つ下の人が、作演出をし、静岡だけでなく、東京でも活動しているということは、
非常に好ましいし、羨ましいし、嫉妬と羨望でぐぬぬぬってなってしまう。
だからこそ興味があったし、期待もあった。
それぞれ色々書いていくけど、基本の感想は、面白かったで、肯定的(自分でいってもしょうがない)だし、あくまで、こうしたらもっと面白くなるんじゃないか?という話だよ。
脚本、演出と、それぞれ言及しながら、自分の意見を書く。

さて、言い訳も済んだし、本文に行きます。



まず、ストーリー。脚本。
最近は脚本をかじり、脚本を書くことに強い興味があるので、脚本の構成や台詞回しには、参考になることがたくさんあった。
まず、設定が面白い。台風の日、会社の会議室。そこに帰れなくなった社員が集まってくる。そこにある不思議なスイッチを押すと、複数の社員の身に不思議なことが起こる。そして話が進むうちに、それぞれが持った病気、例えば暗所恐怖症や、カリギュラ症の人、見栄っ張りなところ、など、自分のコンプレックスが次々と明るみになり、そこを軸に物語が進んでいく。
自分の弱さ、コンプレックスに自分自身がどう向き合っていくか、というようなテーマを感じた。
惜しいな、と思う点は、スイッチが最初から特別視されすぎてたことと、キャラクターのステータスの差が見えづらかったこと。
近しい人間、っていう意図があったのかもしれないけど、いかんせん新人が新人っぽくないし(見栄を張る、プライドが高いという前提を考慮しても)、それぞれの入社年数の差が見えてこないのが残念だった。せっかくなら登場人物に幅をもたせた方が、物語としては面白くなるような気がする。

キャラクターについて他にも言及すると、せっかく症候群、恐怖症をテーマに扱っているのに、掘り下げるキャラもいれば、ただの共通点程度にしかなっていないキャラクターがいたのは残念だった。もう少し作り込めば面白くなるんじゃないかと思う。(例えば、暗所恐怖症の人は、そのせいで恋愛がうまくいかない、だとか)
そして、ある種社会のマイノリティをテーマにする作品なら、ぜひもっと切り込んで欲しかった、と思う。


演出について。
基本的にはストレートプレイで、リアリティを重視した芝居だったように感じる。役者の力の抜けた芝居は流石だった。五代役の中川さんだったかな。非常にステキな役者さんだった。
ここ最近は大きいところでの芝居ばかりしていたけど、
小さな劇場で、この距離感だからこそできる表現もあるんだな、と。
ただ、いくつか考えたい部分はあって、
まずは机の配置。
客席に対して、下手に平行に置かれた机だが、横を向きながら会話する事が多くて、顔がよく見えなかったのが惜しかった。座って会話ばかりになるので、別のしかけが有ると良いなと思う。
そして、場面転換。
個人的に、場面転換は、いかに観客の集中力を切らさないかが大事だと思っている。
足音が聞こえてしまうような静かな暗転は、あんまり好きじゃない。
場面転換が雑な舞台は数多いけど、もっと目を向けて欲しいと、俺は思う。
あと、Twitterに音にこだわりました、と書いていたが、外の雨の音が、台風という設定なのにただの強い雨なのが納得いかなかった。一から作るのはいいけれども、それは拘りじゃない。一から作ることの魅力は、自分の理想の音を作れることだと思う。フリー音源がクオリティ高いのなら、フリー使った方が絶対良い。
もっと大袈裟なくらいの暴風雨の音を、俺なら流す。


とまぁ、ライバル意識むき出しの、感想です。

良いところももちろんあったので、書き出します。
・役名忘れちゃったけど、新人男子が告白した後のそれを受けた女性の演技が、キュートでたまらなかった。
・カラーペン最高だった
・ところどころあるギャグが面白かった
・前述した通り、話の着眼点が面白い


普段、観劇してここまでの感想を書くことは無いんですが、やはり、同世代の演劇人の、静岡の芝居を観たからでしょう、熱い想いを止められなかったというのが正直です。

決して、ただ批判をしているわけではなくて、
なんなら、俺の感想に対しての反論とかめっちゃ聞きたいし、
舞台の感想ってこんなもんで良いのかな?

こうしたアウトプットは続けていけるように精進します。
感想がwebアンケートって面白い(もう終わったし、流石に公開して大丈夫だよね?)

結局ブログなんて書かないじゃないか。

はい、久しぶりの投稿でーす!

今年はアウトプットの年にするぞーなんて息巻いておきながら気づけば11月とは、なんとも悲しき話よ、と思う。

結局書かないといつまでもズルズル引きずっていくんだよ。
自分の弱い心に恥。

知り合いのバイク屋さんは、毎日必ずブログを更新している。尊敬。

どんな小さなことでも良いから更新していくのが大事なのかな。


日々にアンテナを張っていかないと、何も書けなくなっちゃう。
自分のポエムを書き出すだけのラクガキ帳みたいな。

何か新しいことをすれば新しい景色が見えるかと思って、

予約してみた。

iPad Pro11インチ。

早く届かないかな。

創作脚本『ブルーハートガールズ』

以前、高校演劇用に書き下ろした台本がありますので、ここで公開したいと思います。

 

時折指導させていただいている静岡東高校演劇部さんのコンクールのために書きました。

長い台本を書くのは久しぶりだったかな。

初稿から色々改変を重ねて、ここで公開しているのは県大会で東高校が上演したVerです。

 

女子5人の青春活劇です。演劇部が舞台のお話です。

劇中でダンスを踊ったり、喧嘩するシーンがあったりと、なかなかアクティブに楽しく演じられるようになっています。

 

冒頭のシーンは、最後意味もなく踊り出せれば内容を適当に変更していただいて構いません。

ところどころ入っているネタも改変OKです。

 

いろんな高校生に演じてもらいたい作品です。

 

もし上演する場合、長島までご一報いただけると幸いです。

連絡先はlouise.anago8282{あっとまーく}gmail.comです。

 

 

『ブルーハートガールズ』

協力:静岡東高等学校演劇部、小川領太

 

〜あらすじ〜

 公演まで残り1ヶ月。しかし総勢4人の弱小演劇部では、まだ台本ができあがっていなかった! しかも誰にも言えない秘密を抱える部員もいて……。すべての問題を解決し、台本を完成させることができるのか?

 

登場人物:女5人

 

ダウンロードは以下から

ブルーハートガールズ.pdf - Google ドライブ

『パンズ・ラビリンス』

どうも、あなごです。

 

 

今回のブログも映画感想です!

気づかずにネタバレしちゃうかも!

 

 

 

 

今年は映画たくさん観ます!

 

 

というわけで、

今回も人がおすすめしていた映画を、と。

 

そこで観たのが、これ。

 

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ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス

 

ファンタジー映画です。

第79回アカデミー賞で3部門も受賞しています。

 

 

演劇で尊敬する人が紹介していたので、気になってレンタル。

デル・トロ監督ってどっかで聞いたことあるなぁって思ってたら、

僕の大好きな『パシフィック・リム』の監督だった。

 

この監督、日本のロボットアニメが大好きで、それにインスパイアされて『パシフィック・リム』を作ったという。

 

パシフィック・リムは、続編が制作されているから、本当に楽しみ。ぜひ完成させてほしい。

 

 

話が脱線してしまった。

 

 

というわけで、そんな”オタク”なデル・トロ監督がつくったファンタジー映画が『パンズ・ラビリンス』だ。

 

 

いやぁね、この黄金色に輝く宣伝ポスターみてくれよ。

 

ちょっと少女が魔法の国で冒険活劇しちゃうような映画に見えるじゃない?

 

ところがぎっちょん!!

 

 

めっちゃ現実的なダークファンタジーです。

 

舞台は1944年のスペイン。

空想好きの主人公の少女オフェリアは、母に連れられて、とある山間部の軍の駐屯地にやってくる。

その道中、不思議な石像を見つけたオフェリア。

そこでみつけたナナフシに連れられ、とある遺跡にやってきたオフェリアは、そこでパンという異形の見た目をした者から、前世は魔法の国の王女様だったことを告げられる。

そして、3つ試練を与えられ、それを無事クリアできたなら、魔法の国に帰れるという。

 

はたして、オフェリアの運命は……。

 

 

というお話です。

 

一人の少女が、目的のために試練を乗り越えるというお話は、『千と千尋の神隠し』などでも用いられる構図ですね。

 

この映画の特徴は、現実世界とファンタジー の世界と、2つの舞台で話が進行するということ。

というよりは、現実世界が話のベースにあんっているので、それ+ファンタジーといった具合だ。

 

映画のバランスとしては、残念ながら現実の描写の割合が多い。

 

 

ダーク・ファンタジーと謳っているとおり、

この作品はまったく子供向けじゃなくて、(実際PG-12指定)

大人向けのファンタジー映画。

 

画面は基本的に暗いし。

 

 

直接じゃないけど、グロテスクな描写は多いし。

 

そして悪役の残忍さと言ったら……。

 

あとファンタジーの登場キャラクターも、どこかリアリスティックで、グロテスク。

デフォルメされないと、こうなるのかなぁなんて思っちゃったり。

 

 

この映画は、すべての空想世界が、オフェリアの妄想だったという解釈もできるように設計されている。

 

それを狙ったかのように、ポスターのキャッチコピーは

「だから少女は幻想の国で、永遠の幸せを探した」

 

だから、とは何か。

 

現実世界では、オフェリアは幸せじゃなかった。

母親は愛してくれない。継父も好きじゃない。

オフェリアは物語の中でどんどん追い詰められていく。

 

そんな中で、逃避として、彼女が妄想した世界の話じゃないのか、と。

 

どちらの解釈もできるように、あえて作られている。

 

 

でも、やっぱり、僕は、

 

魔法の存在は確かにあったと、信じたい。

 

どちらにしろ、彼女は幸せになった。

魔法の国の王女さまとして。

『セッション』を観た感想

※ネタバレ注意


というわけで、少し日が経ってしまったけど、『セッション(原題:WHIPRASH)』の感想なんか書いていこうと思う。

本作品は、第87回アカデミー賞において、助演男優賞編集賞、録音賞を受賞している。


こういうことに慣れていないので、映画の感想には程遠い文章になるかもしれないけど、そのうち上手になるから許してほしい、な!


というわけで、書いていこう。


この映画の見所は、フレッチャー役のJ.K.シモンズの狂気に満ちた演技、そしてラストシーンのカタルシスのために計算されたシナリオ、演奏シーンが顕著だが、素晴らしきカメラワークと編集である。





シナリオは非常にシンプル。
主人公のニーマンは、プロのジャズドラマーを目指し、全米最高峰の音楽学校に通う青年。
音楽界で将来を期待されている青年のひとりだ。
トップレベルの音楽学校に入学できるのだから、それなりの技術を持っているといえる。

そして、物語は練習室でひとりドラムを叩くニーマンのシーンから始まる。

そこにやってくる教授のフレッチャー。
彼は学内のトップバンドを率いる、トップレベルの教員である。
ニーマンはドラムを叩き実力を示そうとするが、演奏の途中でフレッチャーは帰ってしまう。


ニーマンは、実はクラスのバンドでも主奏者になれない、いわゆる落ちこぼれに近い立ち位置だった。
しかしバンドの練習中にフレッチャーがやってきて、ニーマンをトップバンドにスカウトする。


と、あらすじを長々書くと、だらだらしたブログになるから、ここらにしておこう。


特筆しておきたいことは、とにかく、フレッチャーが暴言を吐き、恐怖でバンドを支配するパワハラ指導者であるということである。



ここまで観れば、フレッチャーに師事したニーマンの、青春のサクセスストーリーを期待するだろう。
正直、僕も途中までは思っていた。

しかし、
残念なことに、

フレッチャーは狂気の人であり、パワハラしかなかったのだ。

しかし、ここまでは芸術の世界ではよくあることであると思う。
今の時代は体罰パワハラに厳しくなったからなりを潜めているけど、演劇だって、灰皿を投げる演出家なんていたものだから。

たしかに、クオリティを極めるために、厳しく指導にあたることは時に必要だと思う。

しかし、作中のフレッチャーは常軌を逸していた。
病的なまでに厳しく、観ている身として、そこに愛は感じられなかった。
音楽への愛も、
教え子への愛も。


とあるコンクールの日、ニーマンはバスのトラブルで遅刻しそうになる。
レンタカーを借りて会場に着いたニーマンだが、レンタカー店にスティックを忘れてきてしまう。
しかしフレッチャーはニーマンに、自分のスティックでなければステージに出さないと言った。

厳しい見方をすれば、プロ意識が足りないのかもしれない(それでも学生だが)。
だけど、いくらでもやりようがあったにも関わらず、
ニーマンを簡単に切った。
ニーマンはなんとか食らいつこうと、スティックを取りに戻ったが、ホールへ向かう途中交通事故にあって満身創痍になりながらも、ステージに立つ。
しかしそれで演奏できるはずもなく、フレッチャーに終わりを宣言される。

フレッチャーに殺してやると摑みかかるニーマン。
彼はこれが原因で学校を退学する羽目になる。


まず、ここでびっくり。
ニーマンはついに挫折を経験するのだけど、フレッチャーは冷酷にニーマンを切った。

おいおい、気に入ってたんじゃないのか?
なぜそこまで冷酷になれるんだ。
頭に???がたくさん出る中、物語は進んでいくのだ。

その後、ニーマンは偶然フレッチャーに会う。

そこでニーマンに厳しい指導の理由を語るフレッチャー。

才能を押し上げるため、あえて行きすぎるくらい厳しい指導をしていた、と。
そこで挫折するようなら、本物の才能にはなれないと。
新たな天才を生み出すため、あえて厳しい試練を与えているのだと。

そこでフレッチャーはニーマンを新しいバンドに誘う。
ニーマンに期待していたことを伝え。


一瞬、ここでフレッチャーはいい人なのかもしれないと思った自分が情けない。
いや、展開的には普通にあり得る。
厳しい指導者の裏を知り、和解するシーン。
青春スポ根にはありがちな展開だ。

結果、ニーマンは退学後離れていたドラムと再び向き合うことになった。

しかし、これもフレッチャーの復讐の布石だった。
フレッチャーは、ニーマンの密告によって教員を罷免されていた。
そして、その密告者がニーマンだと知っていた。


知らない曲名をフレッチャーから知らされた瞬間、正常に進んでいたはずの物語が一転した。

話もクライマックスにさしかかっているのにも関わらずだ。
演奏に失敗したニーマンは、ステージから去る。
今度こそ完璧に心を折られたのか、そう思った瞬間、ニーマンはステージに戻り、いきなりドラムを叩き、強引に演奏を始める。

ここからこの物語のクライマックスの始まりだ。

これまでの陰鬱でストレスの溜まる展開をすべて蹴散らす、この作品の最大の見せ場が始まる。

そして、敵対していたはずのフレッチャーとニーマンは、演奏を通して心を通じあわせたところでエンドロールが始まる。

この演奏シーンのカメラワーク、編集が神がかり的に素晴らしい!
曲の盛り上がりに合わせて観ている側の気持ちも盛り上がるような計算がされている。

比べるのもおこがましいけど、アニメ『響けユーフォニアム』第2期の関西大会の演奏を思い出させるような、その場の臨場感が伝わってくる画面だったと言っておきましょう!

ラストシーンに、フレッチャーとニーマンによる会話はない。
しかし、お互いがお互いをみて、そしてお互いを認め、音楽を通じて心が一つになっていく。

その瞬間を見せて、この作品は幕を閉じるのだ。
話としては、何かが解決したとは思えない。

フレッチャーの病的な人間性がどこまで治っていくのか、ニーマンの今後はどうなるのか、そんな余計なことは一切描かない。

この作品の凄いところは、とにかく無駄を排しているところ。
登場人物も限られていて、情報量が少ないから話について行きやすい。
そして、演奏中は観客をほとんど映さない。
言ってしまえば、ニーマンとフレッチャーだけをピックアップした画面だ。

そう、この話は突き詰めてしまえば、ニーマンとフレッチャーの物語。
それを語るのに不要なものは、とことん排除しているのがこの作品の特徴だ。



この作品で使われる音楽のジャンルはジャズ。
ジャズは聴くのが好きな程度で詳しくもなんともない素人だけど、昔ジャズを嗜んでいた大学の先生から聞いたことで、

「ジャズは、全く同じ演奏しちゃいけないんだ」

と言われたことがある。
この同じ演奏をしちゃいけないっていうのは、なぞるような演奏をするなってこと。

演劇でも同じことが言えて、ただ前にやった演技をなぞろうとすると失敗する。
それがジャズにもいえるんだって思った記憶がある。


そんな、変な親近感を抱くジャズが使われている映画だけど、そういう意味ではあまりジャズらしさは感じない。

フレッチャーは本番前に「楽しもう」なんていうけれど、楽しむなんてことを彼は教えていない。


厳しい指導は時に必要だけど、本当にそれを行うためには、それ以上に愛がないとダメだ。
そう、スクールウォーズのような、そんな、泥臭い愛がないとだめなんだ。

そう、思う。


ただ、最後のカタルシスに向かうように設計された物語、そして映像、それは素晴らしい。

良い映画だったと思う。

『セッション』

 去年の3月くらいだろうか。

 

 

「『ラ・ラ・ランド』面白かった。」

 

 

そう友人に言ったときのことだ。

 

 

そいつはなかなかクレイジーで演劇バカで、今は文学座研究所で真摯に芝居を学んでいるRというやつだ。

 

そいつが言った。

 

「『セッション』も観てくださいよ」

 

その時の僕は、「おう、気が向いたら観る」と言っただけだ。

 

もちろん頭の片隅にはあった。

だが、なかなか腰の重い僕は、観ることをしなかった。

今の今まで。

 

そして先日、今年は映画をたくさん見ようと思ってTSUTAYAに行ったときのことだ。

たまたま、『セッション』のBDが置いてあった。しかも旧作だ。

 

100円で借りれるなら、と思ってそのままカゴに入れた。

 

そして昨夜みた。

 

なんの事前情報もなしに。

 

ラ・ラ・ランドに合わせて勧めてきたんだから、きっとミュージカル仕立てのエンタメ作品なんだろうなと勝手に思い込んでいた。

タイトル名も音楽用語のセッションだし。

 

だから、娯楽映画を観るつもりでテレビの前に座ったんだ。

 

主な登場人物はたった二人だ。

 

マイルズ・テラー演じる、主人公のアンドリュー・ニーマン。

彼は超一流の偉大なドラマーを目指し、全米最高峰のシェイファー音楽学校に入学した1年生。

 

 

そして、J.K.シモンズが演じる師匠のテレンス・フレッチャー。

 

 

 

正直に言えば、なぜ予告編でもいいから観なかったんだろうか、と自分に言ってやりたい。


映画『セッション』予告編

だが、観なかったからこそ、この衝撃を味わえたのかと思う。

 

前置きが長くなったけど、

この映画には感動したわけじゃない。

 

 

そう、衝撃を受けたのだ。

 

どこかの劇評でこの作品はこう評されていた。

 

「シンプルな狂気」

 

そう、まさしく狂気うごめく作品だったんだ。

しかも、スリラー系のようなものではなく、

余計なものをそぎ落とした、純粋な狂気。

 

そしてそれがラストの怒涛の展開で昇華されることに、この作品の価値があるのだと思うし、一番評価されているポイントなんじゃないかなと思う。

 

 

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というわけで、次回はネタバレ込みで感想を書いていこうと思います。

 

一富士二鷹三茄子

今日は1月2日!

みなさん、初夢見ましたか?

長島は、初夢観ないくらいぐっすりだったよ!

初夢に観ると縁起が良いとされる一富士二鷹三茄子は、家康様にルーツがあるんですよね。

そしてその由来となる地は、実は静岡の三保半島!

ブラタモリでやってました。

勉強になった。


というわけで、静岡になんだかんだゆかりがあるのがすごく素敵ですよね!

初詣に毎年行っている久能山も出てましたね。嬉しい。


今日は長野の温泉でゆっくりしてます。
木曽川が目の前で、すごく景色がいいですよ!

どうです!?
美味しそうだろ??

美味しいんだよ!!


ホテルは気楽でいい。
けど、旅館のおもてなしを感じる心地よさも良いんだよね。

素敵な部屋でしょ?

温泉も気持ちいいんです。

毎年来たくなるような、そんな宿です。


そうそう、基本宿はじゃらんで探すんだけど、
絶対こだわるのが、温泉の有無!

温泉はやっぱり大事だよね!

みんなのお気に入りの温泉はどこですか?

お気に入りの温泉、あると人生豊かになると思うわけです。


おわり